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丸柱(まるばしら)

もっともっと私たちの故郷 まるばしら

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史跡からたどる丸柱と音羽の歴史

 歴史を紐とけば「丸柱(まるばしら)」と「音羽(おとわ)」が同じように時を刻んだのではなく、二つの区それぞれの時間・時代の流れがあり、その中で故人の生活がありました。
 このページでは現在も残っている史跡や神社や寺などを中心に言い伝えや書籍、資料からまとめ掲載いたしました。
 少し足をのばせば歴史を感じることができるここまるばしら。
まずは知っていただき、そして歩いてみませんか。この奥深い歴史を生活の一部として感じてみるとまた違った故郷の風景を楽しむことができることでしょう。
 行事・イベントページではお祭りの写真も掲載しております。
詳しい関係資料や書籍の一部は市民センターにもおいてありますのでご活用ください。

了源上人遷化の地(りょうげんじょうにんへんかのち)

建武二年(1335年)12月8日京都仏光寺の了源上人(りょうげんじょうにん)が伊賀地方布教の帰途、この七里峠(桜峠)において弟子の善了と共に殺害された場所です。
上人が死に臨み「我の死は宿業なり、此の物を罪するな、彼は懺悔の心あり、よろしく後世を教えよ」書き終え亡くなったといわれています。 七里峠が桜峠と呼ばれるようになったのは罪をおかした悪党もこれをうけて後悔の心が生じ、上人の亡骸を桜の木の下に埋めたところ寒中にもかかわらず桜の花がいっせいに咲いたためと言われています。遺骸は上野市佐那具の了源寺に葬られています。

弥助窯跡の碑(やすけかまあとのひ)

伊勢津藩の第9代藩主の藤堂嵩嶷(とうどう たかさと)は、領国産業の振興をはかり丸柱の陶工弥助に命じ、丸柱瀬戸窯の御用をおおせつけました。
そのころ弥助の他半兵衛、定八、久兵衛、長治郎の陶工がおり、伊賀焼の振興に努めました。現在は、「弥助窯跡の碑」として石碑があり、当時をしのばせています。

諏訪神社(すわじんじゃ)

諏訪神社の祭神はタケミナカタノカミ。このタケミナカタノカミはもともと社殿を持たない神格で、木に憑りる神として知られています。そのため諏訪神社では7年に一度、寅の申2年ごとに御柱を建てる神事が今も続いています。
また、12月1日の深夜に裸男が清流で身を清め、洗った米で餅をついて、住民に酒食、餅を振る舞いながら豊作に感謝するという「宗旨まつり」が行われます。(→行事・イベントページにて写真掲載

徳王寺(とくおうじ)

元和9(1623)年に玄也上人によって再興されたと言われています。
山門をくぐったすぐ右手には、南北朝時代の石造宝篋印塔が立ち、清浄な山内を引きしめています。もとは「徳應寺」と書き、徳の一文字は徳川家康が「伊賀越え」の際この地で休息をとったことからこの一字を拝領したものと伝わっています。
桜の季節には、野点茶会も開かれ参道石段に薄紅の花びらが散りかかる詩情豊かな景観を堪能することができます。

みのいし地蔵(みのいしじぞう)

大きな杉の木立の根本にある磨崖仏の刻まれた大石。
杉根が岩を飲み込みなんとも魅力的であります。杉根が地蔵の蓑のように見えることから『みのいし地蔵』との言われが伝えられています。現在の音羽~丸柱間の道路はなく川沿い、このみのいし地蔵の前を人々は行き交い、手を合わせたのではないでしょうか。

音羽氏城跡(おとばしじょうせき)

音羽城跡は、音羽集落の北側、丘陵尾根上に築かれた中世城館跡です。
江戸時代に書き留めた「伊乱記」には地頭音羽半兵衛および城戸氏、「伊賀旧記」には音羽半兵衛は居城と言った記載があり、明治期には城戸氏の城と伝えられていますが、城主が誰だったのかは、定かではありません。
主郭を中心に道や小さな廓郡が麓まで展開しており、自然地形を巧みに城造りの跡が残されており戦国時代の城の姿を今に伝える貴重な城跡です。頂上からは音羽の集落が眺望できます。ゴツゴツとした大きな石が乱立した風景は独特で一見の価値があります。

佐々神社(ささじんじゃ)

三重県と滋賀県の境、篠ヶ岳に鎮座していましたが1592年~1596年頃(422年前)野火に焼かれ松尾弥右衛門が音羽の今の地に遷宮しました。
伝説によるとこの松尾弥右衛門の妻が男子を出産した際お乳の出ずに困り祈願したところ祭神のの八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)が現れ「大きな乳の袋を与える」と言われ妻の母乳がよく出るようになりました。佐々神社の乳を送る御利益はこの時からはじまったと言われています。12月10日は「このしろ祭り」が行われ塩漬けした魚(このしろ)のお腹にご飯をつめて発酵させた熟鮨が奉納されます。300年前から行われている祭禮です。(→行事・イベントページにて写真掲載

西音寺(さいおんじ)

紫雲山安養院西音寺 天台宗盛宗
江戸時代1797年(217年前)正泉大法師によって創立されました。
本堂にて弥陀如来立像(中央)、観音菩薩(向かって右側)、勢至菩薩(向かって左側)、真盛上人(向かって右側)、阿修羅像(向かって左内側)、不動明王像(向かって左外側)を見ることができます。

不動滝(ふどうたき)

音羽氏城跡の奥の地にあたり、 高さ3m、幅2mで数段になり流れ落ちる滝。山肌から湧き出る清らかな水を力強く私たちの地に届けてくれています。地域には、まだたくさんの滝が存在します。

笹ヶ岳の入り口(ささがたけいりぐち)

信楽高原の最高峰である笹ヶ岳への登山口があります。頂上にある巨大な一枚岩は、雨乞岩といわれ恵みの雨が降ると言われパワースポットとしても人気です。
笹の急登を登りきると山頂、信楽焼きのたぬきさんが出迎えてくれます。
歩行距離 :4.5 km
累積標高差 :477 m
山頂標高 :738 m

いっぱいあるよ♪地蔵ラリーに挑戦してね!

どこの地にもあるお地蔵さん。ここ”まるばしら”もふとしたところにお地蔵さんがあり住人の方々に愛され守られています。「このお地蔵さんいつからあるの?」「どうしてここにあるのだろう。」「あれ?六地蔵ならぬ七地蔵???」お地蔵さんを見ていると謎が深まりますね。音羽の「みのいし地蔵」もふくめ個性的なお地蔵さんの数々。さあ、あなたもまるばしら地蔵ラリーに挑戦してみては?新たなふるさとの発見にどきどきワクワク。面白いお地蔵を発見したら教えて下さいね!